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東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)288号 判決 1981年5月21日

原告

イー・アイ・デユポン・デ・ニモアース・エンド・コンパニー

被告

特許庁長官

主文

特許庁が昭和55年5月8日、同庁昭和44年審判第8679号事件についてした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告

主文同旨の判決

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2当事者の主張

1  請求の原因

1 特許庁における手続の経緯

原告は、昭和35年8月24日、1959年(昭和34年)8月24日にアメリカ合衆国にした特許出願に基づく優先権を主張して特許出願(特願昭35―35490号―特公昭37―2489号)(以下、「原出願」という。)をし、その後、昭和43年3月14日、特許法第44条第1項の規定に基づく分割出願として、名称を「柔軟、微孔、水蒸気―透過性不織薄板様構成物の製造法」とする発明につき特許出願(特願昭43―16765号)をしたところ、昭和44年6月21日拒絶査定を受けた。

そこで、原告は、昭和44年10月21日審判を請求し、昭和44年審判第8679号事件として審理され、昭和52年3月28日、特公昭52―10959号として公告されたが、結局、昭和55年5月8日、「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決がなされ、その謄本は、昭和55年5月28日原告に送達された。

なお、原告のための出訴期間として3か月が附加された。

2  審決の理由の要旨

(Ⅰ) 本願の発明

(1)  出願の経過

① 本願は、昭和35年8月24日に出願された特願昭35―35490号〔優先権主張 西暦1959年(昭和34年)8月24日 アメリカ合衆国(特公昭37―2489号)〕(原出願)の出願を昭和43年3月14日に特許法第44条第1項の規定によつて分割し、新たな特許出願としたものである。

② 原審の拒絶理由通知 昭和43年11月27日

③ 拒絶査定 昭和44年6月21日(謄本の発送日昭和44年7月22日)

④ 審判請求 昭和44年10月21日

⑤ 出願公告 昭和52年3月28日

⑥ 特許異議申立

(ⅰ) 特許異議申立人 福島昭三(昭和52年5月27日)

(ⅱ) 特許異議申立人 帝人株式会社(昭和52年5月27日)

⑦ 出願公告後の当審の拒絶理由通知 昭和53年1月31日

(2)  原出願の分割について

① 出願公告後に当審で通知した特許出願の分割を認めない理由

特許法第44条第1項に規定する発明とは、特許法第38条の規定等をあわせ判断すれば、特許を受けようとする発明、すなわち特許請求の範囲に記載された発明と解するのが相当である。したがつて、補正により特許請求の範囲に記載することができる場合を含めて、現に特許請求の範囲に2以上の発明が記載されている場合に限り、原出願を分割して新たな特許出願とすることができる。

ところが、本願発明は、原出願の発明に対して、多数の密に近接するマットのせんいをマット表面に実質的に直角な位置に持ち来たすことによつてせんい群を機械的に1つをもう1つにくくり、マットに縮み処理を受けさせ、それによつて約30~90%の平面積の縮みを起させる構成を付加したものであり、かかる構成を原出願の特許請求の範囲に記載する補正は原出願が出願公告されているので特許法第64条の規定により認められないから、この補正を前提とする本願は、特許法第44条第1項に規定する要件を満たしていないものであり、その出願日の遡及を認めることができない。

② 前記出願の分割を認めない理由についての検討

(ⅰ) 原出願の特許請求の範囲に記載された発明の構成要件

「合成繊維からなる繊維質マットを作り、このマット全体に亘り合成重合体の溶液を含浸させ、この含浸マットを前記重合体溶液の溶剤とは混和性で且前記の繊維及び合成重合体に対しては非溶剤である液体でもつて処理することにより含浸している溶液から溶剤を実体的に全部抽出し、そうして含浸マットを乾燥し、これによつて前記繊維に対する母体の形態で前記マツト全体に亘り含浸剤を沈積させ、前記の繊維と母体との間には実質的に接着がない所の前記引続く工程からなるしなやかな湿気透過性シート物質の製造方法。」

(ⅱ) 本願の特許請求の範囲に記載された発明の構成要件

(a) 合成伸縮性せんいを含有するせんい質マツトを形成し、

(b) 多数の密に近接するマツトのせんいをマツト表面に実質的に直角な位置に持ち来たすことによつてせんい群を機械的に1つをもう1つにくくり、

(c) マツトに縮み処理を受けさせ、それによつて約30~90%の平面積の縮みを起させ、

(d) マツトに重合性結合剤の溶液を浸透せしめ、

(e) 浸透したマツトを前記溶液の溶剤と混合性であつて、前記せんいならびに合成重合体の非溶剤である液体にて処理することによつて重合性結合剤を、5%の伸びにて0.35~10.5kg/cm3の引張応力を有するものに等しい形にてマツト中に凝固せしめ、

(f) マツトを前記液体中に洗浄することによつて凝固した結合剤から実質的に全部の溶剤を除去し、

(g) 実質的に溶剤を含まない浸透したマツトを乾燥する、

以上の工程よりなることを特徴とするなめし革代用品ならびに人工スエード革のような柔軟性、微孔性、水蒸気透過性、不織薄板構成物の製造方法。」

(ⅲ) 審判請求人の反論

請求人は、前記(2)①の特許出願の分割を認めない理由に対して、意見書及び上申書を提出して、下記のごとく述べている。

1  特許出願の分割の対象となる発明は、原出願の特許請求の範囲に記載された発明に限定されるべきではない。

2  原出願の出願時に特許請求をしなくても、その後、明細書に開示した発明を必要とすることがあり、これを救済するのが特許法第44条の立法の趣旨であり、他に法の規定なくして、出願人の権利を不当に制限されるべきではない。

3  特許出願の分割は、補正とは明確に区別できる概念であり、原出願の出願公告後に特許出願の分割をする場合でも、特許法第64条の規定による制限を受けるべきではない。また、この場合、分割出願も出願公告され、第三者には特許異議申立の機会が与えられるので、第三者の利益を害することはない。

(ⅳ) 前記反論についての見解

そこで、これらの点を検討したところ、

1  特許法第44条第1項には、「特許出願人は、2以上の発明を包含する特許出願の1部を1又は2以上の新たな特許出願とすることができる。」と規定されている。そこで、仮に、原出願の「特許請求の範囲」に発明の構成として記載がないが、その「発明の詳細な説明」又は「図面」に記載されている発明について、特許法第44条第1項の規定における新たな特許出願として認められるとすれば、特許出願に包含する発明は、原出願については、その「特許請求の範囲」に記載された事項で構成される発明及び「発明の詳細な説明」又は「図面」に記載された各発明であり、また、新たな特許出願については、その「特許請求の範囲」に記載された事項で構成される発明であるということになり、出願の発明の対象を異にすることとなり、矛盾する。

一方、出願に係る発明は、その特許要件の審査等及びその出願に係る特許権等において法が出願人に認める権利の外延を画する重要な機能を有するものであり、出願の当初から明確に特定されなければならない。特許法第36条が、「発明の詳細な説明」とは別に「特許請求の範囲」の記載を要求し、「発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない。」と定めたのは、この特許請求の範囲の記載によつて出願に係る発明を特定しようとする趣旨によるものであり、また、このことは特許法第70条の規定からも明らかである。

他方、特許法が、「発明の詳細な説明」の記載及び必要な「図面」の添付を要求しているのは、発明を特定するためではなく、「特許請求の範囲」の記載によつて特定された発明を第三者に説明するためのものであつて、その目的の範囲を超えるものではない。

したがつて、出願に係る発明とは、「特許請求の範囲」に記載され、それによつて特定された発明のみを指すものであり、「発明の詳細な説明」及び「図面」にのみ記載された発明は、出願に係る発明に含めて解することはできないというべきである。

この概念が特許法の手続全般を通じての基礎的、中心的概念であることからすれば、その内容は特段の事情のない限り、すべての手続を通じて統一的に把握されるべきであり、個々の手続ごとに、たやすくその概念を変えるべきものではないといわなければならない。

そして、出願の分割の場合における「発明」についても、これを別異に解すべき格別の理由はないから、前記の「出願に係る発明」と同一の意義に解するのが相当である。とりわけ、特許法第44条は、出願の分割の対象となる発明について、「2以上の発明を包含する特許出願」という文言を用いており、それが単なる「発明」ではなく、特許出願の対象となつている発明、換言すれば「特許出願に係る発明」でなければならないことを明らかにしているというべきである。

したがつて、特許法第44条第1項にいう「2以上の発明を包含する特許出願」とは、原出願の願書に添付された明細書の「特許請求の範囲」に2以上の発明が記載されている特許出願のことであり、「発明の詳細な説明」及び「図面」のみに記載されている発明は、出願に係る発明ではないから、出願の分割の対象とはならないと解すべきである。

なお、上記の「原出願の願書に添付された明細書」は、適法に補正された明細書を含むことを付言する。

2  出願の分割の制度は、1発明1出願の原則(特許法第38条本文)に違反して「特許請求の範囲」に2以上の発明が記載された場合に、出願人を救済するため、あるいは、自己の発意により特許法第38条ただし書の規定による出願の1部を新たな出願とするために設けられた制度であり(パリ条約第4条G)、それ以上に、出願人が「発明の詳細な説明」又は「図面」には記載したが「特許請求の範囲」には記載しなかつた発明についてまでも出願人の救済を図ることを予定した制度ではない。

他方、「発明の詳細な説明」又は「図面」には記載したが、「特許請求の範囲」には記載しなかつた発明について、出願人を救済する制度としては、明細書の補正の制度が設けられ、明細書の補正の手続によつて「特許請求の範囲」を補正することが認められているから、出願の分割の制度を拡張解釈してまで出願人を救済しなければならない格別の理由はないというべきである。

3  出願公告決定の謄本の送達後においては、特許法は、明細書の補正をなし得るとき及び期間並びに補正を許す範囲を著しく限定しており、その特許出願に係る対世的権利の変動のないことを求めてその審査手続を定めているといえる(特許法第42条、同第54条、同第64条、同第126条)。

出願人は、出願公告によつていわゆる仮保護の権利を有することになり、第三者は直接拘束を受けることになるから、出願の補正によつて、その権利範囲を変動させることは、第三者の法的地位を浮動状態に置くこととなつて好ましいことではない。すなわち、「発明の詳細な説明」中にのみ含まれている出願の対象外の発明についてまで出願人に明細書の補正手続によつてその発明を「特許請求の範囲」に加えるか否かの選択権を自由に与えることになれば、明細書が補正されたときに当該特許権を侵害するとされる可能性のある発明については、その関連事業者は、長期間に亘つてその実施を差し控えざるを得ない立場に追い込まれることとなる。そして、出願人がそのような発明についてまで、特許権を取得したのと実質的に同様な利益を得るという事態も生じ得ることとなり、それに応じて第三者の利益が不当に損われることとなり、ひいては、特許制度の目的の1つである「産業の発達への寄与」を阻害することにもなりかねない。すなわち、特許法第64条第1項の規定は、仮保護権又は特許権の範囲は、出願公告後においては、出願公告された「特許請求の範囲」を超えることはないという期待利益を第三者に保障しているものと理解される。

一方、出願の分割をなすに際しては、原出願の願書に添付された明細書の「特許請求の範囲」の補正を必然的に伴うものである(出願公告の決定の謄本の送達前には省略もある。)が、この場合の手続補正について、補正に関する規定の適用を特に排除する理由は見出し得ないから、この手続についても明細書の補正をなし得るとき及び期間並びに補正を許す事項の範囲を限定した特許法第64条第1項の規定が適用されることは当然である。

したがつて、「発明の詳細な説明」又は「図面」のみに記載された発明を原出願の「特許請求の範囲」に記載する補正は、「特許請求の範囲」を実質的に変更、拡張する補正であり、それをなし得る時期は出願公告決定の謄本の送達前に限られるから、出願公告決定の謄本の送達があつた後においては、この補正が許されないことはもちろん、ひいてはこの発明を原出願から分割することを内容とする出願の分割も許されないこととなる。仮に、本件出願の分割については明細書の補正を経由する必要がないと解したとしても、原出願の出願公告後の出願であることが明らかである本願は、原出願からみる限り、原出願の「特許請求の範囲」に記載のない構成、すなわち、前記(ⅱ)の(a)~(c)を付加するものであることが明らかであつて、原出願の「特許請求の範囲」を実質的に変更するというほかはないから、出願公告後において原出願の分割を許して出願日の遡及した新たな出願につき新たに独立の権利を発生させることは、仮保護権又は特許権の範囲は出願公告された「特許請求の範囲」を超えることはないという第三者の期待利益を侵害するだけでなく、出願公告決定の謄本の送達後に「特許請求の範囲」を拡張、変更する補正を禁じている特許法第64条第1項を潜脱する行為を誘発するものであつて、この規定を形がい化することにもなるから、このような出願の分割を認めることはできない。

上記の理由により、本願は、原出願の1部を新たな特許出願としたものであるとは認められず、出願日の遡及も認められない。

(3) 出願日 昭和43年3月14日

(4) 発明の趣旨

昭和43年11月5日付及び昭和44年10月21日付で補正され、出願公告された明細書の記載からみて、その特許請求の範囲に記載されたとおりの前記〔1〕(2)②(ⅱ)に記載のものであると認める。

(Ⅱ) 出願公告後に当審で通知した拒絶理由

(1)  適用法条 特許法第29条第1項第3号

(2)  引用刊行物 特公昭37―2489号公報

(Ⅲ) 当審の判断

本願の発明と引用刊行物に記載された発明とを比較したところ、引用刊行物には、上記本願の発明と同一の構成を有するものが記載されている。

(Ⅳ) 結び

本願は、その発明が特許法第29条第1項3号の規定に該当し、拒絶をすべきものである。

3 審決を取り消すべき事由

審決は、原出願の出願公告後の分割出願である本願発明が、原出願の願書に添付された明細書の「特許請求の範囲」に含まれていないことを根拠として、本願について出願日の遡及を認めることができないとしたうえ、本願発明は原出願の特許公報(特公昭37―2489号公報)記載の構成と同一であり、特許法第29条第1項3号の規定に該当するから拒絶すべきものとした。

しかしながら、特許法第44条第1項にいう「2以上の発明」とは、出願公告決定の前後を問わず、原出願の「特許請求の範囲」に記載されている発明のみではなく、「発明の詳細な説明」又は「図面」に記載されている発明をも含むものと解すべきである。これと異つた見解に立脚して本願発明が原出願の願書に添付された明細書の「特許請求の範囲」に含まれていないことを根拠として本願について特許法第44条第1項所定の分割の要件を満たしていないものであり、その出願日の遡及を認めることができないとした審決は、誤りであり違法であるから取り消されるべきである。

2  請求の原因に対する答弁

請求の原因事実は、すべて認める。

理由

1  原告主張の請求の原因事実は、すべて当事者間に争いがない。

右争いのない事実によれば、本願は、昭和45年法律第91号による改正前の特許法第44条第1項の規定に基づいて昭和43年3月14日に分割出願されたものであるところ、その原出願は、昭和35年8月24日に出願された特願昭35―35490号(優先権主張、1959年8月24日、アメリカ合衆国)で、右原出願は、すでに特公昭37―2489号公報によつて出願されていたこと及び審決が、特許法第44条第1項に規定する発明とは、原出願の願書に添付された明細書の「特許請求の範囲」に記載された発明と解するのが相当であるとし、したがつて補正により「特許請求の範囲」に記載することができる場合を含めて、現に「特許請求の範囲」に2以上の発明が記載されている場合に限り、原出願を分割して新たな特許出願とすることができるとの見解に立脚し、本願発明は、原出願の「特許請求の範囲」に含まれておらず、しかも原出願が出願公告されていることから特許法第64条の規定に照らし、本願発明の構成を「特許請求の範囲」に記載するための補正も許されないから、この補正を前提とする本願は、特許法第44条第1項に規定する分割の要件を満たしていないものであり、その出願日の遡及を認めることができないとしたうえで、本願発明は、原出願の特許公報(特公昭37―2489号公報)記載の発明の構成と同一であり、特許法第29条第1項3号の規定に該当するとして拒絶すべきものであるとしたことが明らかである。

しかしながら、特許法第44条第1項の規定による分割出願において、もとの出願から分割して新たな出願とすることができる発明は、特許制度の趣旨に鑑み、もとの出願の願書に添付した明細書の「特許請求の範囲」に記載されたものに限られず、その要旨とする技術的事項のすべてがその発明の属する技術分野における通常の技術的知識を有する者においてこれを正確に理解し、かつ、容易に実施することができる程度に記載されている場合には、右明細書の「発明の詳細な説明」ないし右願書に添付した「図面」に記載されているものであつても差し支えないと解するのが相当であり、また、特許法第64条第1項本文によれば、明細書又は図面の補正は、特許出願について査定又は審決が確定する以前であつても、出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達があつた後は、特許法第50条の規定による通知を受けたとき、又は特許異議の申立があつたときは、同条の規定により指定された期間内に限り、特定の事項についてこれをすることができるとされているが、単に分割出願の体裁を整えるために必要な明細書又は図面の補正は、前記特許法第64条第1項本文の規定にかかわらず、これをすることができるものと解するのが相当である(最高裁昭和53年(行ツ)第140号昭和56年3月13日判決参照)。

したがつて、特許法第44条第1項に規定する「発明」についての審決の解釈は誤りというべきでありこの誤りを前提として、本願発明が原出願の願書に添付された明細書の「特許請求の範囲」に記載されておらず、かつ原出願が出願公告されていることから特許法第64条の規定に徴し、「特許請求の範囲」に記載するための補正も認められないことを根拠として、本願は特許法第44条第1項所定の分割の要件を満たしていないものであり、その出願日の遡及を認めることができないとした審決の判断は誤りである。

右の誤りが、審決の結論に影響を及ぼすべきものであることは明らかであるから、審決は違法として取消しを免れない。

2  よつて、審決の取消しを求める原告の本訴請求は理由があるので、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(杉本良吉 高林克巳 舟橋定之)

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